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やや復活

たまみです。金曜土曜と風邪でダウンし、ようやく今日からちょっと動けるようになりました。
季節の変わり目は体調を崩しやすいので、皆さんお気をつけください。
それにしても、風邪のときでも全く食欲が衰えないため、その点では結構楽しています。

食といえば、「不思議な場所」でも家族の食卓シーンを行います。
昨年のリハーサルのときは、ダンサー各家庭にある食卓エピソードを皆で話していた
覚えがあります。

私の家の食事に関するエピソードをひとつ。
私の家では、とにかく白飯が絶対で、炊き込みご飯や混ぜご飯はNGでした。
そして、ラーメンにもご飯、パスタにもご飯、うどんにもご飯という家でした。
理由は父にありました。
父は昭和30年生まれで、戦後からいくらか年数も経っているため
時代的には発展しつつある状況だったのですが、家庭的にはとても貧しかったそうです。
父の育った地域は、鹿児島の桜島が大正時代の大噴火で避難してきた人たちで作られた村で、今のように仮設住宅が与えられたわけでなく、避難してきた人たち全員で互いに助け合いながら家や畑を作り、山奥の荒地を切り開いて作ったいった集落です。
(方言も鹿児島弁と微妙に違っていて、島言葉が残っているそうです。)
私の祖父母がなくなるまで五右衛門風呂が健在し、手のひらサイズのクモが闊歩する、
そんな貧しい地域。
だから父の子供の頃の夕飯は毎日さつま芋。時々白いご飯がつくと思いきや、
それは「いもご飯」というよりは「ご飯いも」というのにふさわしいくらい、
さつま芋の周りに米粒がついているものだったそうです。
ときどき近所の人に呼び止められて、お仏壇に供えてある一口分のご飯をもらったとき、
本当にご飯がおいしいと思った瞬間だったそうです。
そして父が就職してから茶碗いっぱいにご飯を食べれたときの喜びは忘れることはない、
と言っていました。
だから、今でも栗ご飯とかを見ると、「ご飯いも」を思い出して食欲がでないらしく、
何を食べるにしても必ず白いご飯がついてくるのです。
そんな訳で私の実家ではパンよりもご飯率が高く、
私が成長期の頃には、一食で5合がなくなるくらいでした。
(だいたいいつも、父3杯、母1杯、私4杯、妹2杯でした。)

さすがに舞台の食卓シーンでは5合も皆で食べるようなことはできないでしょうが、
それぞれの家庭がもつ雰囲気がまたひとつの別の次元の家庭の食卓として見えるといいなぁと思います。

というわけで、病み上がりの今日の夕食も、いつものようにご飯2杯な私でした。

by madocinema | 2007-10-08 02:16 | ダンス  

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