日本の皆様に震災のお見舞いを心から申し上げます。
地震発生から早くも2週間が経ちました。
遠く安全な所から天災、人災、引き続く被害の模様を見ているのは、
申し訳けのないような、不条理な憤りを感じずにはいられません。
久しぶりのブログ、今日は硬派でいきますので、ヨロシク。
現在ドイツのハノーバーに住んでいます。
私は地震以来ずっと日本を向いて生活していたので、今日久しぶりに
外に出て、まわりが外人ばかりなのにびっくりし、人々がのびのびと
日光浴をしている風景さえもが奇異に感じられました。
ドイツの人たちは非常に高い関心をもって、今回の災害を見守って
おり、ここハノーバーでも地震2日目に原発反対のデモがあり、
追悼の集まりがあり、政府は即、古い原発の停止を決めました。
1986年のチェルノブイリ原発事故の時に、私はドイツのフライブルグに
住んでいました。東京の母から”帰ってくるの?被爆するらしいよ。”と
いう電話があり、私の知っている情報と母の電話の内容が大変違うので
まず驚きました。まだインターネットもない時代で、個人で情報を集める
のも限度があり、何がなんだか・・・?という感じでした。
自分なりに考えて、娘には幼稚園を休ませ外にも出しませんでしたが、
他の子供達はいつものように外で遊んでいました。
間もなくスーパーの冷凍野菜のコーナーが空っぽになり、路上に何羽も
死んでいる鳥を見つけて、幼稚園の遊び場の砂が全取替えされました。
ドイツの人たちはその時に、肌で原発の恐怖を感じたのでしょう。
原発反対運動が盛んになり、私も広瀬隆さんたちが中心となって編集
されていた、原発についての月刊誌などを読んでいました。
その”恐ろしい話”が現実となり、今強いショックを感じています。
妹は家族移住を計画し、オーストラリアに土地まで購入し、あれほど
日本の原発に危機を感じていたにも関わらず、私自身もいつの間にか
目の前のことに忙しくなって、原発への危惧は静かに遠退いていきました。
デジャビュのようにあの時のあやふや感が蘇ってきます。
国によって政策や制度がそれぞれ異なるのは理解できますが、
それでも報道に温度差があり、政府も東電も保安員も信じ切れる
ところまでいきません・・・
これからの日常の日々は、被災者の人たちと二人三脚で勝ち負けのない
障害物競走が続くことでしょう。私たち一人一人が問題意識を持ち続け
情報を得、吟味して、行動することが大切だと思います。
チェルノブイリがきっかけになって、大国のソビエト連邦が崩壊したのです。
日本でもターニングポイントには違いがありません!
その舵は微力の一人一人がみんなで担っているはずです。
ドイツ人は、日本人はキャラクターが違うと、感心したり、納得したり、
腑に落ちない顔をしています。日本から配信されるニュースは、
災害にあっても淡々と静かに運命を受け止める、被災者の人たちの
姿がほとんどで、切なくて、必ず涙が出ます。
しかし、こういう時こそ、本当に怒ってもいいと思うのです!
怒りの人がいたとしても、事なかれ主義で、問題になるようなテーマは、
特に外国には配信しないのかもしれませんね。
最近見たいくつかのインタビューです。見てください。
ライブなので見にくいかも知れませんが、うーむ・・・!です。
後藤政志、元東芝の原発設計者のインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=etcASxPNzeU
広瀬隆のインタビューhttp://www.youtube.com/user/chorochannel#p/a/u/2/veFYCa9nbMY
佐藤栄佐久元福島県知事のインタビューhttp://www.ustream.tv/recorded/13446422
先回のマドモアゼルシネマの公演”途中下車”はいみじくも私が
よろよろ、ぐらぐらしながら、途中下車するシーンから始まりました。
日本が途中下車をしてしまったような今の状態・・・夜が明けたら・・・
降りたった今ここから、”朗らかな明日”が見えることを強く祈ります!
あつこ